真言宗 龍伏山二尊院 本文へジャンプ
楊貴妃伝説






楊貴妃絵画 『國色天華』





楊貴妃絵画 『悦び』

長門の向津具(むかつく)半島に、
二尊院という真言宗の古いお寺があります。そのお寺に、楊貴妃のお墓と呼ばれている文化財の五輪塔があります。この楊貴妃にまつわる伝説が、いにしえから累々と語り継がれてきました。

 今から1200年以上も昔のことです。海の向こうの国、唐(今の中国)に、
玄宗という皇帝がいました。そのお妃が楊貴妃です。楊貴妃は、たいそう美しくて賢い人でした。そのうえ、歌舞音曲も上手で、二人はとても幸せに暮らしていました。

 ところが、唐の国の中で反乱が起こり、
楊貴妃は殺されることになりました。玄宗皇帝は、嘆き悲しみました。玄宗の悲しみがあまりにも深いので、陳玄礼という兵長が、楊貴妃を仏堂の中でしめ殺したと見せかけて、逃がしてあげることました。家来に命じて空艫舟(うつろぶね)を造らせ、それに楊貴妃を乗せ、数日分の食糧を入れて川へ流しました。その小舟が何日も何日もたって、向津具半島の唐渡口(とうどぐち)に流れ着きました。

 けれども、
楊貴妃は間もなく死んでしまいました。里人たちは、たいへん気の毒に思い、久津湊(くづみなと)にある天請寺(てんしょうじ)の境内に、丁寧に葬りました。

 一方、
玄宗皇帝は、楊貴妃のことをひと時も忘れることができませんでした。皇帝が眠っていると、夢枕に何度も楊貴妃が現れ、「わたしは、日本の国に流れついて、死んでしまいました。自分を弔ってくれる人が誰もいません。それで、成仏できなくて困っています。もし、わたしを憐れに思うなら、早く供養してください。」と、お願いしたのでした。

 このことを知った
皇帝は、たいへん不憫に思い、自分の大切にしていた釈迦如来阿弥陀如来二尊仏を供養のために家来に持たせ、日本に送りました。

 ところが、家来が日本に着いてみると、
楊貴妃がどこの浦に流れ着き、何というお寺にお墓があるのか、さっぱり分かりません。それで仕方なく、京都のお寺へ仏像をあずけて帰りました。

 その後、
楊貴妃のお墓が長門国の天請寺にあるということが分かったので、釈迦阿弥陀二尊仏天請寺へ移すことになりました。ところが、京都のお寺では、たいへんご利益のある仏像なので、どうか残してもらうようお願いしました。そこで朝廷は、仏像彫刻の名人に、そっくりな二尊仏を作らせ、京都のお寺と長門の天請寺で一体ずつを分けたということです。

 このとき、
天請寺は、朝廷から本尊が二体あるので、新たに二尊院というお寺の名前を賜って、名乗るようになりました。

 
二尊仏は、寺伝によると阿弥陀像が日本で作られたもの、釈迦像が中国から送られたものといわれていて、国指定の重要文化財です。

 また、
二尊院の境内にある五輪塔は、楊貴妃のお墓と伝えられ、いつの頃からか、このお墓にお参りすれば、安産・子宝・えんむすびのご利益があり、美麗な子が生まれると信じられるようになりました。それで、日本各地から、楊貴妃のお墓を訪れたり、重要文化財の二尊仏を拝んでいく人が、今も後をを断ちません。